ロビンソン 歌手:スピッツ 作詞:草野正宗

1995年4月リリース、スピッツ11枚目のシングル。この曲の大ヒットでスピッツは一気に世間に認知されてメジャーバンドになりました。
歌詞はこちらで。
聴く側の年齢層が高くなると、最新の音楽事情について行けなくなり、どちらが曲名でどちらがバンド名(歌手名)か分からない現象がよくあります。その走りがこの曲のヒットだったと思います。当時の年配者はスピッツのロビンソンなのか、ロビンソンのスピッツなのかで頭を悩ませたのです(笑)
“スピッツ・ロビンソン現象”が起きた大きな原因はタイトルの分かりにくさだと思います。ロビンソンという固有名詞に一体どんな意味があるのか、曲を聴いてもさっぱり分かりません。
曲名は、作曲者の草野マサムネがタイを旅行した際に印象に残っていたというロビンソン百貨店から命名されたもので、制作時の仮タイトルだったものがそのまま正式名称に採用されたが、楽曲そのものとは関連性はなく、歌詞中にも「ロビンソン」というフレーズは一切登場しない。 (出典:ウィキペディア) |
ウィキペディアで調べるとこのような記述もあり、歌詞に関連するような直接的な意味はないようです。
歌詞を読み込んでみると、現実逃避をする男の物語のような解釈ができます。各コーラスのAメロで実社会で辛い生活を強いられている姿が表現されています。
(1コーラス目)
新しい季節は なぜか切ない日々で
河原の道を自転車で 走る君を追いかけた思い出のレコードと 大げさなエピソードを
引用元
疲れた肩にぶらさげて しかめつら まぶしそうに
新しいスタートを切ったのに、なかなか思うように行かない暮らし。ここで出てくる「君」は心の中から客観的に見ている自分の事だと思います。思い出の品と楽しかった頃にすがり、ため息を付く毎日を送っているのでしょう。
(2コーラス目)
片隅に捨てられて 呼吸をやめない猫も
どこか似ている 抱き上げて 無理やりに頬よせるよいつもの交差点で 見上げた丸い窓は
引用元
うす汚れてる ぎりぎりの 三日月も僕を見てた
捨てられて、弱り死を迎えつつも呼吸を続ける野良猫。世間から捨てられて精神的に瀕死状態の自分に投影させています。
交差点で見上げる丸い窓とは、様々なしがらみで窮屈な今の自分の環境の事をいっているでしょう。視野が狭くなった彼は大きな空を見渡せず、ギリギリの三日月がわずかに見えるだけなのです。
そんな辛い毎日で彼の意識は内に内に向かっているのではないでしょうか。
誰も触れない 二人だけの国
引用元
二人とは前述したように客観的に見ている君である僕と、心の中の僕の二人だと思います。誰にも邪魔される事のない、自分の中に存在する世界。そこに彼は逃げ込んでいってるような気がするのです。
しかし単なる現実逃避ソングだけでは終わらないのが、最後のフレーズです。
大きな力で 空に浮かべたら ルララ 宇宙の風に乗る
引用元
今は沈んでしまっている自分も何かのきっかけで浮上する事ができるはずだという解釈ができないでしょうか。
特に「ルララ」というスキャットが、悲壮感を消してくれてます。自分の力で這い上がってやる!のような熱血ド根性的なものではなく、「なんとかなるよ~」とちょっと能天気なフワフワ感を漂わせてるのです。
ここまで解釈してみると、タイトルの「ロビンソン」にも本当はちゃんとした意味があるのじゃないかと探りたくなってきました(笑)
まず思い浮かぶのが、ロビンソン・クルーソー。有名な冒険小説の主人公ですよね。
そして、歌詞に出てくる宇宙というワードから連想するのが古いアメリカドラマ「宇宙家族ロビンソン」。これも未知の宇宙へ飛び出した家族の冒険ストーリーです。
タイトルに冒険の意味が込められているとすれば、ただの引きこもりソングではなく、心の中の高いステージへ意識を持っていく壮大なテーマが隠されているという解釈もできます。
でも、色々考えるよりもミディアムテンポのリズムと心地よいメロディを楽しんだほうがいい曲ですよね(笑)