飾りじゃないのよ涙は

 飾りじゃないのよ涙は 歌手:中森明菜 作詞:井上陽水

 歌詞はこちらで。

 1984年11月リリース、中森明菜10枚目のシングル。作詞作曲した井上陽水も同年12月にアルバムでセルフカバー。

 シャッフル系のリズムが歌詞の中に登場する車の疾走感とピッタリハマっています。この曲を歌う時の中森明菜のスタンドマイクとパンツルックも印象的でした。

 音で、視覚で、格好良さを演出した80年代を代表する曲だと思います。中森明菜と井上陽水という二人の天才の融合が起こした化学反応がいつまでも色褪せない輝きを生み出したのでしょう。30年以上経った今も、カラオケでよく歌われているナンバーというのも頷けます。

 主人公の女性が「涙」の持つ意味は一体何なのかを問う哲学的な歌詞です。

 昔から「男殺すにゃ刃物はいらぬ。涙のひとつもみせりゃいい。」という言い回しがあるように、「涙」は女性の最強の武器であると言われています。

 どんな屈強な男でも女性が泣けば弱いのです。しかし、この曲の主人公はそれを全否定しています。涙はそんな軽々しく使われていいものではないと。

 早い車に乗せられても冷めた感覚で泣かなかった私。触れ合った人(友達)との別れの場面でも泣かなかった私。

 これらの場面で流す涙は「飾り」だと言い切っています。彼女にとっては場面、場面の演出に思えるのでしょう。

 では、彼女にとって本当の涙はどのような時に流すものなのか。2コーラス目にその回答があります。

いつか恋人に会える時 私の世界が変わる時 私泣いたりするんじゃないかと感じてる

引用元

 「泣いたりするんじゃないかと感じてる」・・・絶対にそうであるとは言い切れませんが、恋人に出会った時に、心の底からの涙を見せるかもしれない。自分の世界を変えてくれる相手だからこそ身も心も捧げる覚悟なのでしょう。

 1コーラス目ではどんな場面でも涙を見せない、冷めた感情の持ち主のように描かれたのが彼女の全てではないとここで分かります。情熱的で一途な一面も持ち合わせているのです。

 余談ですが、当時の中森明菜のライバル松田聖子が前年にヒットさせた「瞳はダイアモンド」の中に“あふれて止まらぬ涙はダイアモンド”という歌詞があります。

 これに対するアンサーとして ダイヤと違うの涙は とう歌詞があると考えると非常に興味深いです。

 悲しさで溢れた涙を美しさの象徴に例えた松田聖子。涙は飾りじゃないと現実的な訴えをする中森明菜。80年代を代表する2大アイドルの対照的なパフォーマンスに因縁めいたものを感じます。

 正確には松本隆に対する井上陽水のアンチテーゼなんですけどね(笑)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です